お正月
━━━正月とは?
- 正月とは本来、年神様(としがみさま)をお迎えする行事で、1月の別名です。ですので、正月は1月31日までというのが、正しいです。しかし現在では、1月1日から1月3日までを「三が日」、1月7日までを「松の内」と呼んで、この期間を『正月』と言っています。場所によっては1月20日までを正月として、二十日正月(骨正月)と呼んでいます。

━━━おせち料理について
━━━年神様とは?
- 年神様は、神道の神で、毎年正月に各家にやってくる穀物の神様です。昔、日本では年の始めにその年の作物が豊かに育つように、年神様をお迎えすることが正月の中心行事となっていきました。正月の飾り物は、元々年神様をお迎えするためのものでした。門松は年神様が来るための依代(よりしろ)で、鏡餅は年神様へのお供え物でした。各家で年神棚・恵方棚などと呼ばれる棚を作って、そこに年神様へのお供え物を供えました。
- また一方で、年神様は家を守ってくれる祖先の霊、祖霊として祀られています。農作を守ってくれる神と家を守ってくれる祖霊が同じと考えられていたためで、田の神も祖霊も山から降りてくるとされていたためです。それで、一年を守護する神と農作を守護する田の神と家を守護する祖霊の3つの神をあわせて、年神様と呼ばれています。

編集部
お正月にまつわる疑問
- 質問1:門松の飾り方はどのようにすればよいか
- 門松とは、正月に家の門の前などに立てられる一対になった松や竹の正月飾りのことで、松飾りとも呼びます。門松は年神様を家に迎え入れるための依代で、神さまが降りてくる目印と考えられています。
- 12月10日ごろに、「松迎え」といって、山から松の木枝を取ってきます。それを早いところでは20日ごろから飾ります。しかし、クリスマスがあるので、25日を過ぎてから飾る家が多いです。でも、29日に飾るのは「二重苦」として、31日に飾るのは「一夜飾り」といって年神様に対して誠意が欠けるので、それぞれ避けられています。1月6日の夕方まで飾ることが多いのですが、場所によっては1月15日の小正月まで飾ります。
- 門松にはいろいろな形があります。関東では、3本組の竹を中心にして、周りに短めの若松を置いて、下の方をわらで巻く形が多くて、関西では、3本組の竹を中心にして、前に葉牡丹を後ろに長めの若松を置いて、下の方を竹で巻く形が多いです。また松を使わない門松が、東京都府中市、神戸市生田神社などにあります。最近では、一般家庭用に小さな寄せ植え風の門松が売られるようになりました。さらに省略版として、若松に、赤白や金銀の水引を蝶結びにし、門柱などに付ける方法もあります。
- 質問2:しめ飾りの飾り方はどのようにすればよいか
- しめ縄とは、神道で、宗教上の意味を持つ紙垂をつけた縄のことをいいます。しめ縄は神聖な場所と周りとの結界としての役割を持っています。しめ縄には、太く両端がつぼんだ「大根じめ」や片側だけ細い「ゴボウじめ」などがあります。
- また、しめ飾りには正月に迎える年神様を祀る清潔な場所という意味があります。玄関や神棚には玉飾りを飾ります。玉飾りとは、しめ縄を輪に結んで縁起物である紙垂、だいだい〈繁栄〉、裏白〈長寿〉、ゆずり葉〈家系が絶えない〉などを飾ったものです。台所やトイレなどには輪じめを飾ります。輪じめとは、玉飾りを簡略化したものです。
- 飾る期間は門松と同じで、クリスマス後から28日の間に飾ります。29日と31日は縁起が悪いので、避けます。また、取り外す日は、1月7日の七草粥を食べた後か、15日の小正月の後です。
- 質問5:除夜の鐘はなぜ108回撞くのですか?
- 由来は3つの説があります。
- 一つ目は、人間の煩悩の数が108あるからという説です。煩悩は、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根のそれぞれに好(気持ちが好い)・悪(気持ちが悪い)・平(どうでもよい)があって18類、この18類それぞれに浄(きれい)・染(きたない)の2類があって36類、この36類を前世・今世・来世の三世において108になります。
- 二つ目は、一年間を表すという説です。月の数の12、二十四節気の数の24、二十四節気を三等分した七十二候の数の72を足した数が108となって、1年間を表します。
- 三つ目は、一年間の四苦八苦を取り払うという意味からという説です。4×9+8×9=108となります。
- 作法としましては、鐘を撞く前には鐘に向かって合掌をします。108回のうち107回は大晦日の晩に撞き、残りの1回は年が明けた新年に撞きます。
- 質問6:年賀状の由来は?
- 日本には奈良時代から「年始回り」という、目上の人や日ごろお世話になっている人のところへ出向いて新年の挨拶をする行事がありました。これが、平安時代に貴族や公家にも広まりました。このころ、遠くに住んでる人など直接挨拶ができないようなとき、「年始回り」の代わりにとして手紙で年始挨拶が行われるようになりました。これが、今の年賀状の始まりです。
- 明治6年に明治政府が郵便はがきを発売すると、年始の挨拶を簡潔に安価でできるということで葉書で年賀状を送る習慣が急速に広まりました。明治20年頃になると年賀状を出すことが国民の間に年末年始の行事の1つとして定着しました。また、昭和24年に「お年玉つき年賀はがき」が発行されると、爆発的に大ヒットしました。このため、年末になると、年賀状が集中して郵便取扱量が何十倍にもなって、通常の郵便物にも支障が出たので、年賀郵便の特別取扱が始まりました。決まった期間に持ち込めば、1月1日の消印を押すというものです。
- 現在では、「年賀特別郵便」として、12月15日から12月28日の間に、郵便物の表面の見やすい所に「年賀」の文字を明瞭に朱記したものは、翌年1月1日の最先便から配達する。となっています。ただし、1月1日の年賀印がほしい場合は、年賀切手を貼るか、窓口で依頼しないとなりません。
- 年賀状はいつまでに出せばよいですか?
- 一般的に年賀状は松の内までに出して、それ以降は寒中見舞いを出します。松の内とは、本来1月15日(小正月)まででした。しかし、江戸時代頃から1月7日(大正月)までとするようになり、今では1月7日までというのが一般的です。ただし、関西地方では、今でも1月15日までです。
- 質問7:干支とは?
- 干支と言うと現在一般的に「子(ね・し)」「丑(うし・ちゅう)」「寅(とら・いん)」「卯(う・ぼう)」「辰(たつ・しん)」「巳(み・し)」「午(うま・ご)」「未(ひつじ・び)」「申(さる・しん)」「酉(とり・ゆう)」「戌(いぬ・じゅつ)」「亥(い・がい)」のことを指します。しかし、本当はこれらを十二支と言います。よって、干支というのは間違いです。このほかに十干の「甲(きのえ・こう)」「乙(きのと・おつ」「丙(ひのえ・へい)」「丁(ひのと・てい)」「戊(つちのえ・ぼ)」「己(つちのと・き)」「庚(かのえ・こう)」「辛(かのと・しん)」「壬(みずのえ・じん)」「癸(みずのと・き)」というものと組み合わせたものを干支と言います 。
- 十干と十二支の組み合わせは全部で60通りあります。 この干支は年月日、時刻や方位また角度などを表すのに使われました。これを年に当てはめると60年で一周し、数え年で61歳のとき自分の生まれた年に戻るので暦が還る、すなわち「還暦」になります。また、甲子園球場が開設された1924年は甲子の年だったので「甲子園」と名付けられました。
- 質問11:初夢とは?
- 初夢は、現在一般的に1月1日の元日から2日の夜または、2日から3日の夜に見た夢のことを言います。そしてその時に見た夢の内容から、その年一年の吉凶を占います。その際に見る夢として縁起のよいものを上から順に、「一富士(いちふじ)、二鷹(にたか)、三茄子(さんなすび)」といわれています。この順番の由来はいろいろあるようです。徳川家の縁の地である駿河国での高いものの順で、富士山、愛鷹山、初物のなすの値段という説。富士山、鷹狩り、初物のなすを徳川家康が好きだったことからという説。富士は日本一の山、鷹は賢くて強い鳥、なすは事を「成す」という説。富士は「無事」、鷹は「高い」、なすは事を「成す」という掛け言葉という説などがあります。そして一富士、二鷹、三茄子、に対応して「四扇(しおうぎ)、五多波姑(ごたばこ)、六座頭(ろくざとう)」と続けることもあるそうです。


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